狂うまで夢日記

人間不適格

頑張るという事を頑張るという事を

皆さんって頑張った事ってあります?僕は偉そうに言えた物じゃ無いですけど、頑張った事ってありません。

自分は(というか同年代の人は普遍的にそうだけど)自我?を持ってからの長い時間、学校という組織に身を置いている訳なんですが、例えば学校で頑張る事と言えば勉強とか、部活とか、少し見方を変えれば友達付き合いとか、恋愛だったりとか、そういう部分で自分は全く頑張ってきませんでした。

 

小学校

小学校の頃は勉強するのが楽しかったです。別に勉強を強制されていたという環境では無かったのですが、テストで良い点を取ると、先生や両親が褒めてくれるので、それが嬉しくて(知識を蓄積するのもまた、とても面白かったので)純粋に勉強をしていました。

周りの友達は皆、家が近いから公園に行くと遊んでて、そこに混ぜてもらって友達になった、という仲で明確なきっかけとかはありませんでした。僕の両親は転勤族でよく引っ越しをして、住む土地もバラバラだったので、まともに友達が出来たのは小学校三年生とかで、それまでは殆ど学校にも行ってませんでした。

友達達は受験がある中学校の少ない田舎の地元ですら、進んでお受験をするような人達だったので相応に賢ったんですが、授業を聞いたり、テレビを見たり、新聞を流し見したり、そういう事をやってたら、その人達に勝ちはしないまでも、明確に劣ってるというぐらい知識や頭の回転で差を付けられる事はありませんでした。

つまる所、自分はだいぶ要領が良かったんだと思います。

水泳や野球も音楽も人並みには出来ましたし、運動神経とかそういうのにも比較的恵まれていた気がします。先生や講師、上手い同級生のやり方をじっくり見て、真似すればある程度の事は出来ました。まあ、そんな感じで小学校は過ごしてました。

受験をして良い中学校に通うのも楽しそうだなって思いましたが、わざわざ週末にテストを受けないといけないのは面倒くさいな〜と思って辞めました。それならちょっと仲の良いぐらいの友達と近くの中学校通う方が良いやって思いました。

 

中学校

中学校に上がって、毎日のように遊んでた友達達はお受験した別の学校に通い始めて、そうやって何となーく身の入らない中学校生活を送ってたんですけど、思春期が来て、「女の子に良く見られたいな?」って思う時期が来ました。いわゆる、春。だけど髪の毛を弄ったり、ジャラジャラした装飾品を着けたり、背伸びしたような服を着るのはかっこ悪いなって思ってたので、意識的に自然体であるようにしていて、格好良くあろうという努力は怠ってました。女の子ばっか追っかけてたから、中学校に友達はほとんど居ませんでした。

話はちょっと戻って入学当初、部活を選ぶにあたって何となく両親がやってたバレーボールを選びました。凄く人数が少なくて、無理やり女子の部活に入れられて練習をする日々が続いたんですけど、別に辞めるのも面倒臭かったので、惰性で続けていました。最後の大会を前に指を剥離骨折してしまって、自分は試合に出られませんってなった時に担任の先生とか、母親とかは自分を思って涙を流してくれたんですけど、自分はそこまで部活に熱量を込めて無かったので、「もうこれで土日にはよ起きんでええし、夜もゲーム出来るんよなあ」って思ってました。県選抜から声を掛けて貰ったのですが、「もうバレーはいいや」と思って断りも入れました。思えばその断りを入れた瞬間が、自分がバレーボールに対して一番主体的に動いた瞬間だったかもしれません。

部活が終わって高校受験の季節になって、先生にはワンランク上の高校を勧められましたが、努力をするのが面倒だったし、何よりその高校が坂の上にあって通学に面倒を感じたので、家から近い県で三番目ぐらいの高校に通う事にしました。(その年の受験倍率が1.01倍だったので本当のノー勉で挑みました)

 

高校

高校では放送部に入りました。何で入ったのかはっきりは覚えてません。自分の席から(50音順で遅い名前なので、廊下側に席があった)見える位置に放送部のポスターがあって、授業中にそれが目に付いたから、だったような気がしますが、はっきりとは覚えてません。

放送部は結構面白い所でした。エレベーター高校の外部入学生として入ったのですが、下は中学生から上は高校3年の先輩まで、幅広い人が居て、そこに多様性を感じたというのもありましたし、バレー部時代は数少ない先輩からビンタされたりしてて、そういうのと無縁そうだったので、すっかり好きになってしまいました。

全く新しい世界に飛び込んで、音声編集だったり、動画編集だったり、脚本を書いてみたり、演技をしてみたり、そういう初めての経験は新鮮で、ここでも知識の蓄積が楽しくて、色んな事をしてほぼ遊びに近い形で学んでいました。幸い同級生や後輩にも恵まれて、結果を出して全国大会に進む事も出来ましたし、適度に努力を怠って遊んだり、お茶したりしながら部活を楽しみました。

高校時代に仲良くなって、定期的に一緒に遊んだ人は一人もいませんでした。部活が一緒だった友達か、中学校から仲の良かった友達か、そんな感じでした。昼飯とかずっと部室に行ってスマホ弄りながら食ってて、友達と飯食えてる人達は羨ましいなあとか思ってました。こうやって思い返すと、小中の友達の少なさなんかよりブッちぎって高校では友達が少なかったです。

はたまた部活が終わって受験の季節が来て、模試を受けたら鹿児島大学の前期がC判定って出て、それにビビりました。自分ってこんなに頭悪かったんだと思いました。(当時は模試の結果=頭の良し悪しという等式が成り立っていた)

これ以上勉強したく無かったので、推薦で大学を決めようと思いました。だけど、高校に全く行って無かったので(週2ぐらいで休んでボーッとしてた)、推薦の要項を満たすには、出席日数が全く足りておらず、結果AO入試で受験しました。大学は、当時付き合ってた彼女が九大志望だったので、何となく九大のAOを出しましたが、締切直前ぐらいに、全く勉強してない現状を客観的に見て「マズいな」と思って、まだ出願が間に合ったここを選んで出しました。面接は入った後にやりたい事についてクロ現で見た情報とか交えながらデマカセを喋ったら通りました。何となくで決めた大学に何となくで入れました。

 

高校時代の思い出、高校時代は何故か本当にモテました。あのレベルのモテ期が後2回も本当に来るとしたら相当に神だなって思えるぐらいに。その中で中学生とか、別クラスの見ず知らずの人から手紙を貰ったり呼び出されたりするのは、とても気持ちが良い物で、自分って結構イケてるんだな〜ってその時に勘違いしてしまいました。仲良くなった人とそのままお付き合いして、別れたら別の人と仲良くなってみたいな、切実に大学でもこうありたかった〜〜

 

大学

問題は大学だわ。ここヤバくね?何でも主体的に動かないと爆速で置いてかれるんだわ。ちょっと勉強をサボるとあっという間に落ちこぼれて、ちょっと友達と話すの怠ると全く大学の情報が入ってこなくて、本当に誠実な人間じゃないと全くモテなくて、すっかり老いて枯れました。

与えられた課題だけこなしとけば評価される高校式の勉強ってなんて素晴らしいんだって思いました。主体的に学ぶ事が推奨されてて、教師も過度な干渉は一切してこない。向いてる人には本当に向いてる環境だと思いますし、大学に向いてる人は社会にも向いていると思います。それに、大学で真面目に頑張った人がしっかりと社会で報われる世界であるべきであるとも思います。

年上の言葉を聞いて学び、それを糧にして、自分流のアレンジも加えつつ成功するように調整する。なんて頭を使う行為なんでしょう!小学校の頃に教えてもらった四則演算や漢字、自分で学んだ友達との球のしばき方だけで惰性走行出来るほど、大学は甘く無かったです。

 

うだつの上がらない毎日で、ベッドの上にダラダラ寝転がってたらあっという間にヘルニアになって、治る気配の無いヘルニアと、全く見えてこない真っ暗な将来への焦燥感が相まってうつ病にもなって、心身ボロボロで、後は転がり落ち続けるだけです。

英語の勉強や、就職活動、公務員の勉強は、全部やろうとは思ってました。まあいつかその時が来たら、将来の自分が本気出してやってくれるんじゃないかなって思ってました。全部やらなかった。本当に全部1mmもやらなかった。結果どうだい。4月から行く会社も院も無い。地元に戻ってバイトしながらチンタラ就活して、地元の零細に拾って貰えたらラッキーっていった具合です。

 

どこが分岐点だったとか、どこかが明確に失敗だったとか、そんなのは無い気がします。六歳ぐらいからずーっと続けてる、努力をせず、その場の雰囲気だけ乗りこなして、上手いこと帳尻を合わせる、こんな事。こんな事を小学校に入った頃から続けてたら、そりゃまともに何も出来ません。

自分が将来、結婚出来るような人に巡り会えて、もし子供に恵まれるような事があったとしたら、子供にはちゃんと、努力の尊さを教えたいと思います。

努力ってキツイし、面倒くさいし、すぐに結果は出ないし、何でやってるんだろ?って思う時もあるけれど、それは将来、自分を支えてくれる背骨になるんだよって。

 

P.S.

親にありえんぐらい甘やかされて育ちましたがそれは原因では無く、ありえんぐらい甘やかされてないと、別の所でくたばってたと思うので、正直両親は最適手を尽くしてくれたと思ってます。

ほんまサンキューな。後輩に寿司おごったら餓死しそうなんで今月の仕送り、早めにお願いします。