狂うまで夢日記

人間不適格

引っ越し

こういう日は、往々にして早起きしがち。

9時頃に出発する特急に乗って、大分を出ようと思っていたけどワクワクしてか早く起きてしまって、荷造りも昨日の内に終わっていたから、1時間出発を早める事にした。

駅についてから「息子との別れの時間が不意に1時間早くなって、寂しい思いをさせたかも知れない」と思った。

俺が切符を買っている間に、二人は入場券を買っていたらしく、ホームまで上がって電車が見えなくなるまで手を振ってた(少なくとも俺が首を捻ってホームを見返す範囲では)

アホほど親バカじゃんって思ったし、一年ニートしてたのに就職出来たのを喜んでくれてるんだろうな、とも思った。暫くは、あんまり親不孝な事が出来ないかな。

特急に乗る人は多くなく、まだまだ席の埋まりが疎らだったりしたけど、観光地の駅から乗ってくる家族連れの賑やかさや、母親らしき女性と一緒に大きな荷物を持って移動している18歳前後の男の子の気まずさが、春休み中であり、そして年度が変わる直前の週である事を強く示しているように感じた。

自分も大きなキャリーバッグに、もっと大きなスーツケースを掛けて乗っているから、年度が変わる直前の週である事を強く示している一要素になっているだろうなと思って、少し恥ずかしくて笑った。

新幹線を降りて、一年ぶりぐらいに東広島に降りたけど、別にノスタルジーに浸れる訳では無かった。のどかな所だなあとは思ったけど、これまで感じていたような「帰ってきたなあ」感は全く無かった(そりゃそうじゃ)

タクシー捕まえて大学までお願いしたら、これぐらいの年格好の人間が、今更大学に大荷物持って向かうのが珍しいのか、質問攻めにあってしまった。タクシーの運転手と能動的に喋るのは楽しいけど、受動的に喋るのはタダタダ苦痛だなって思った。(多分タクシーのうんちゃんも、同じ事思ってる)

大学寄って、支援室で学位記貰おうと思ったら、母親の付き添いで来たみたいな在学生が喋ってて、別に進んで盗み聴きした訳では無いけども、モチベーションが保てないから退学したいという話をしていて、やっぱりコロナ禍で心身共に健康であるのは難しいよね、と思った。ネットニュースでは散々擦られてるのを見てたけど、実際目の前で見ると何とも言えない気持ちになる。

早く感染が収束すると良いな。色んな人々が、様々なサイズの不自由と付き合っている中で、コロナがそこに追い不自由して来たわけで、あっぷあっぷになっちゃう人は少なくないよな、と思った。

盗み聴きを続けるのも気が引けたから、散歩がてら建物の中を練り歩いたけど、お世話になった(?)先生とか、お友達とか軒並み居なかったから、先に昼飯を食う事にした。

お好み焼きと滅茶苦茶迷ったけど、ラーメン食い行って、ラーメン屋のおっちゃんが覚えててくれたから嬉しい気持ちになったし、こっちにして良かったねって内なる自分も言ってた。茹でて余ってた麺をくれたけど、久し振りに食べるから、完食出来るかどうかで気が気じゃなかった。追加してくれるな〜〜ってその時は思った。

大学戻ろって思ったら、家の近くにあったセブン-イレブンが潰れてたし、セブンが潰れてるのにブームが萎みかけの時にオープンしたタピオカ屋は店がまだ健在で、訳分かんねえなマジで、って思った。

タピオカ屋の横にはワンコインぐらいの海鮮丼屋が出来てたり、カラオケ屋でダーツ出来るようになってたりで、色々変わってた。毎年来ようとは全く思わないけど、たまに来る分には面白そうだった。

ちゃっちゃか学位記貰って、タクシー引っ捕まえて、駅戻って、そんで新幹線乗ったら列車の中が結構賑やかで(素晴らしい事だと心の底から思うけど、それはそれで別として)嫌だなあって思ったので、金出してグリーンに乗る事にした。

のぞみだと意外とビジネスマンが居たり、パパ活みたいな人達が居たりで落ち着かないし、こだまは時間かかって適わないから、中間取ってひかりに乗ったけど、号車に自分しか居なくて滅茶苦茶快適だったから、リクライニングをフルに倒して毛布被って寝てた。

静岡辺りで目が覚めたけど、黄砂が余りにもヤバくて富士山があんまり見えなくて残念だった。折角山側にして貰ったのにね。

で、もう一回寝て、気付いたら品川着いてたからボチボチ支度して在来線に乗り換え。あんまり人が多くないから、荷物が多くても肩身が狭くないな〜って思ってたのに、新宿あたりからずっと人が多くて、デカすぎる荷物に恥ずかしさを感じてた。

駆け足でテレビの電源付けて、フジテレビにチャンネルを合わせたら、日本がモンゴルをしばき倒してて、こういうチームにこういう勝ち方が出来るのは、やっぱり良い事だと思った。

疲れちゃったから、ここらへんでお終い。おやすみなさい。


こういう日は、往々にして早寝しがち。